日田産業史

日田群立工業徒弟学校

工芸学校

■全国初となる産学一体による職人の育成

それまでの原木や製材品の流通だけでなく、新たな産業や家具、下駄などの技術、デザインの向上など付加価値を付けた工芸産業を興そうと昭和40年木工科(指物・挽物)と漆工科(髹漆、描金)からなる「日田郡立工業徒弟学校」を設立。昭和45年には「日田工芸学校」と改称。卒業後の収容と製品の販売を目的として日田漆器株式会社を設立。全国初といわれる産学協同学校でした。この工芸技術者育成により日田の木工業は、大きく発展しました。

▼「徒弟学校」とは、明治中期から大正初期にかけて設置された職工の養成を目的とした教育機関です。日田においても木材を使った新しい産業を起こそうと工業教育を始めたことになります。それまで原料の生産は、盛んに行われていましたが他産地のように製品化される工場が実現しなかったなど産業化の遅れもあったからです。
▼既に開校されていた別府の工業徒弟学校の卒業生を講師に迎えましたが漆工や木工に関しては、日田においてのみ開花した事を考えると低度であれ木工芸が古くから行われていた素地を有していたからこそ先進技術を吸収できたのだと考えられています。当時は、九州一の漆の産地になっていました。現在日田漆器の伝統技術を受け継いでいるのは、相澤漆芸工房の相澤秀一氏ただ一人となっています。
▼林業を学ぶことができる全国でも希少な「大分県立日田林工高等学校」は、林業と蚕業の2科を持つ「大分県立農林学校」が前身となります。家業ならびに地場産業の担い手を育成する目的があった農林学校と新たな産業を生み出そうとした徒弟学校は、紆余曲折がありながらも昭和13年に合併します。それを見越して日田山林学校は、日田林工と改名したそうです。

■産業支援機関による改革

新たな産業の発展を目指した徒弟学校が開校した当時「大分県醸造試験所」として開設された現在の「大分県産業科学技術センター」では、県内の産業振興を目的として技術支援や研究開発を行っています。昭和22年には、「大分県日田産業工芸試験所」を設置し家具や下駄など日田市内の木材産業を中心とした塗装やデザインの研究を行いその結果現在の下駄の形や木部塗装の技術手法が確立されていきました。

▼県内外の技術者などの協力を得ながら産業の振興を図る共通する目的を持つ試験所と徒弟学校。この時代に生きた人達は、これまでの林業や木工をベースとした日田の産業に新たな技術やデザイン、生産効率などのブラッシュアップを行いました。その結果、徒弟学校を卒業した宇治山哲平氏や楢原長甫氏など日田市を代表する作家や試験所で研究を行う者、起業する者など多くの優秀な卒業生を輩出しました。更に「九州クラフト協会」「九州デザイン協会」の事務局が日田市に置かれるなど当時の方々のエネルギーに満ち溢れたものづくりに対する想いが感じ取れます。

【当時の研究資料/日田工芸試験所】

【楢原長甫と作品】

楢原長甫


明治44年生まれ。日田工芸徒弟学校
描金科卒業後、京都の工芸学校教論江馬長閑氏に師事。京都で独立し美術展などに出品し数々の賞を受賞。日田に帰郷後も制作活動を続け皇太子殿下御成婚記念献上品を謹作するなど現代の名工として労働大臣表彰を昭和58年に受けました。日田そして日本を代表する漆工職人です。